映画とは
こんにちは!ナカトシです!
今もいっぱい映画が公開されているのにもかかわらず、いまさら映画を何とかしようなんてと思われているかもしれませんね!
でもあえていいます!
それらは映画ではないのです!笑
私、ナカトシがいう映画ではない。
では映画とはということについて今日は語ります!
映画の発祥より、映画とは映画を作るところであり、映画作品そのものであり、そうして映画を上映するところでした。
それらを含め、それらに従事するもの、それらを楽しみに映画館で鑑賞するものがいて、そのトータルとして映画と呼ばれていたはずなのです。
どれか一つが欠けても映画とは言わない、これが私、ナカトシがいう映画のボーダーラインです。
いまの映画たちは上記の要素が連なっているわけではなくて、大手メジャーなどがまとめ役として機能しているだけであって、ぶつ切れで存在しているような状況であるわけですね。
制作会社も、芸能事務所も、配給会社も違う企業によって運営されている。
そこには統一した文化は存在してはいません。
現在の映画は単体として、その製作期間だけの寄せ集まりの集団で、終わればさようならということ。
これは構造的に映画ではないということ。
こじつけではありません。
本来の映画を再興するためにはそもそも論を展開する必要があるのです。
映画を守るために。
私、ナカトシはそのゼロ地点から映画を再興しようということなのです!
映画の真の作り手を守るために。
そうです、映画のクリエイターはあまりにひどい状況におかれているわけですよね!
これはアニメの業界もそうだし、もしかしたら芸能を含むすべての文化と呼ばれるものはほとんどなのかもしれませんね!
でもなんですよ!
文化は日本のお家芸と言っても言い過ぎではないくらいではないですか?!
世界最高レベルです!
映画なんてね!50年代の溝口健二監督の一本だけでも、世界は誰も及ばないですよね?
『近松物語』なんて美術品ですよね!
そんな凄い映画たちが星の数ほどもあったのが、1970年くらいまで製作されていたわけなのですね!
素晴らしい!
そう!
素晴らしい映画には、歴史の連続性と同時代性が渾然一体となって、記憶に刻まれるからこそ、
映画と呼べるんです。
勘違いして欲しくはないんですけれど、
その作品そのものがいかに素晴らしいかということは言ってはないということです。
だっていまの環境でも才能あるクリエイターはいっぱいいますよね!
やっぱりそれがいかされていないところが問題なわけです。
もったいない。
日本映画はオワコンではないですよ!
芸術大国ニッポンの核となるものなんです!
だからクリエイターは絶対に豊かでなければいけないんです!
価値は対価に報われてこそ意味があるし、そうでなければ退廃へと突き進むんです。
いまの日本がそうではないですか?
世界最高の価値を秘めた、わがニッポンです!
なぜここまで競争力がなくなってしまったのか?
構造的欠陥で人財にお金が還流されなくなったからですよね?
一部の人間だけが儲かり、大半の日本人には富が流れない仕組みこそ悪です。
二極化が進んでいますけれども、富裕層は富を蓄積するだけ、
もっと日本が進化するためには、一般の消費者層が豊かにならなければいけないんです。
その層が豊かになればお金をいっぱい使うようになるでしょう。
そうすれば日本国の経済がうまく還流していきます。
血液(お金)は流さなければ腐るんです。
いまこそ構造を変えていく時です。
裏を返せば、わがニッポンはまだまだ可能性がありますよ!
いや、希望しかない!笑
ピンときたら→映画の理想郷にようこそ
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